【考察】コロナと感情

※単なる持論になります。

科学的な根拠があるわけではございません。

 

コロナ禍により経済や社会情勢は大きな打撃を受けています。

仕事がなくなってしまった方はもちろん、明日の生活も危ぶまれている方もいるでしょう。

 

しかしここでは「感情」についてちょっと考えてみたいと思います。

 

 

今年1月末頃よりコロナの不安が報道されるようになりました。

とはいえ、当時はまだ緊急事態宣言が発動されるような状況は、私含め多くの人がリアルには考えていなかったでしょう。

まだ感情はほぼ平常時だったかと思われます。

 

2月には横浜港にクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号が到着し、上旬~中旬頃は連日報道を席巻していました。

いよいよ日本国内での感染拡大も懸念され、感情に"不安"が生じ始めました。

 

3月には学校の臨時休校が始まり、その頃は春休みまでの想定でした。

またマスクの高額転売やトイレットペーパー、消毒液が店頭から消えたのもこの頃でした。

"不安"に"混乱"もプラスされ、先が見通せないなかがむしゃらに行動に移した結果、と私は解釈しました。

 

そして4月、緊急事態宣言が発動されるに至り、(3月末頃からだったかな?)外出自粛しない渋谷の若者は危機感が薄い、といった報道もなされていました。

予てより医療従事者はじめコロナ差別なども発生していますが、こういった事象は増加していると考えられます。

 

 

整理します。

新型コロナによる社会不安は、徐々にそして急速に蔓延しました。

我が身や家族を大切にするあまりに過剰なアクションに移る人、やきもきする人が増加しています。

 

一定の善なる心を持つ人は、自身や医療従事者の辛さを代弁しその功績を認め、差別がなくなるように発信をしています。

しかし、そう易くは減少していないようです。

 

 

ではなぜ、

「コロナが移るからバスに乗るな」

「医療従事者は近づかないでほしい」

といった心ない言動が発生してしまうのでしょう?

 

私の結論は、"目線が外に向いている"せいだと考えます。

自分自身のために防衛行動を取るとき、あたかも周囲の人々を自分に仇なす者と認識してしまいます。

人は自分に不幸をもたらすものについては強きになれます。自分や、大切な人を守るためならば他人を傷付けることを厭いません。

 

 

どうすればこの攻撃性を押さえられるのか。

目線が外に向いて、他人を攻撃してしまうのなら、その目線を"内側"に向ければいいのではないでしょうか。

他人が自分に不幸をもたらすかどうか、という視点も自衛のためには重要なことですが、それよりも"今自分はどうなっているのか"ということを考えてほしいと思います。

 

不安とは未知なるものに感じます。

ならば未知なるものを知ればいい、という話になりますが、新しく知るということはそう易くは出来ません。相手のことを知るというのはとても難しいことです。

よくわからないからこそ、他人に不幸をもたらされないために攻撃し距離を取るのです。

 

他者尊重のための第一歩は、"自分を知る"ことです。

あなたはどんな人間ですか?

今どんな感情を抱いていますか?今の自分の感情を、10点満点で点数化したら何点でしょう?

いつかコロナ禍が終息したとき、あなたはどんな人になっていますか?どう過ごしていますか?

 

ぜひ考えてみてください。

なかなか答えは浮かばないかもしれませんが、考えるだけでもいいです。

人は意外と自分自身のことを知りません。

自分のことが少し分かると、不思議と他人のことを分かるようになります。

ただ、あんまり思い詰めるのもよくないので、誰か頼れる人と一緒に考えてみてもいいと思います。

カウンセラーなどの対人支援の仕事をされている方は、無料で相談に乗ってくれるところもあります。

ぜひ活用してください。