【感想】野ブタ5話
もともとはコロナによる番組改編で、2話くらいしかやらないのかと思ったら続いてますね。
今回はデート回でした。
これも15年前なのに結構印象に残ってました。
特に水族館でおじいさんの吐瀉物を拭った野ブタの手にシッタカが触れたときの、「汚えっ!」っ叫んだの、よく覚えてます。
大人になって改めて見ることで、気付けることってありますよね。
巧く練られてるなぁ、と感じたので、ちょっと整理してみました。
デート後にビラを撒かれる嫌がらせを受けますが、その後3人で集まってるときに修二と野ブタの"ズレ"が露見します。
修二は野ブタを人気者にするために行動している。
しかし実は、野ブタは別に人気者になりたい訳ではない。
修二はこれまでの努力が無駄に感じすれ違いますが、キャサリンやまり子、父の言葉を聞いて、そして野ブタの影の努力を知って考えを改めます。
デートに協力したまり子は、引き立てるため悪女を演じたせいで自身の悪い噂が広がってしまいます。
そのことを気に病んだ修二が謝りにいくと(というか、なんだかんだちゃんと気にして謝る修二くんは良い人ですよね)、
「誰か一人だけ本当のこと知ってくれてればそれで充分」
ビラを見たキャサリンは、
"噂ごときに惑わされるな"
"ただの紙切れだから怖れるな"
とアドバイスをします。
父は海外を飛び回りなかなか会えない奥さんでも、
結婚してれば年に何回かでも会える、自分のカッコいいところも情けないところも知ってくれてる人が世の中のどこかにいるだけで充分
と語ります。
野ブタは放課後、町行く人と会話や笑顔の練習をしています。
自分が人気者になる理由は、お世話になった修二と彰に「ありがとう」を伝えるため。
修二は努力して"人気者"というキャラを確立しています。
ただ人気者の姿は、誰からも好かれる偶像のような存在なんでしょうね。
自分らしさがなかったり、無理をしていたり。
大してまり子や父や、そして野ブタはたくさんの人に好かれずとも、自分らしさを知ってくれている人がいるだけできっと幸せを感じられるのでしょう。
自分のことを知ってくれている人がいるというのはとても理想的だと思います。なかなか思い通り自分のありのままを受け入れてくれる人はいないな、と。
それが愛や友情と呼ぶのでしょうが、だからこれらは美しく崇高な感情なんでしょうね。
ところでコロナによる外出自粛もそろそろストレスとともに痺れを切らしてきました。
家に籠り続けるのは相当なストレスです。オンライン飲み会なども出始めましたが、それだけじゃもやもやの全ては消せません。
かといって外出し三密を崩してしまうのは、"自分が誰かを殺めてしまう可能性"があります。
自分が出回り密が増えることで、ウィルスが運ばれ、その先で亡くなる人がいます。
私の個人的な考えです。
まず、感染や健康については、マスクや手洗い等エチケットによりある程度防止すること。
また睡眠や運動など免疫力や体調を気遣うことも大切です。
社会的に生きる上ではお金が必要です。
ということは営業自粛にも限界があることもわかります。
であるならば、給付金の支給、税金や家賃ライフラインなどの費用に猶予をもたらせるなどの策が必要なように思います。
実現の方法も可能かどうか、も分かりませんが‥
人間誰しも、自分は思いやりのある人間だと過大評価しています。
自分には常識があり、常に正しい選択をし、人並みに気遣いを持った人間だと錯覚しています。
「コロナ終息のため自粛しましょう」という思いやりに訴えた目標には限界があるのかもしれません。
なぜなら、
思いやりを持って行動しましょう、と呼び掛けても、そんなことを言われるまでもなく私は普段から思いやりのある行動を取っているからです(と錯覚してます)
海外では罰金など罰則により制限しています。
必ずしも正解ではないかもしれませんが、有効打ではあるように感じられます。
終息を願っています。