【感想】野ブタ。をプロデュース
野ブタ。をプロデュースというドラマ、ご存じの人も多いのではないでしょうか。
初放送は2005年、もう15年も昔のドラマですが
いまだに覚えている人たくさんいると思います。
私はこの当時まだ小~中学生?くらいでしたが、リアルタイムで見ていたことを覚えています。
ちなみに当時の視聴率は平均すると17%ほどあったようです。(Wikipedia参考)
先日(2020年4月11日)に特別編が放送されましたが、とても懐かしかったですよね。視聴率も11%とのことで、今どきではかなりの数字ではないのでしょうか。
今さらあらすじや解説など必要のない名作ですので、本記事では個人的な感想を垂れ流そうと思います
15年も経つとこんなに変わるんですね。
まだみんなガラケー使ってますよ(!)
修二たち高校生たちも魅力的ですが、夏木マリさんや忌野清志郎さん、高橋克実さんなど取り巻く大人たちも大変魅力的ですよね。
修二はノリがよく世渡り上手な反面、冷めた目で周りを見てます。
野ブタは暗く転校早々いじめの標的になってますが、ごみ捨て場に案内してくれた修二に「早く彼女のとこ戻ったら?」なんて気遣いもしてくれます。
彰は飄々というかへらへらと掴み所がないですが、実はお金持ちのお坊っちゃんで青春をどう謳歌するかわからない、と‥
放送当時は自分より年上だったし、子供心には人間模様なんてよくわかんなかったけど
大人になってから見ると改めて心情とか設定が面白いですよね。
この第一話で私が特に印象に残ったシーンは、
①本屋ゴーヨク堂の店主
よくよく見ると本屋の中の半紙に色々書いてあります。
「美男美女以外立ち入り禁止」とか、
「本には2種類ある!誰も読まない本と読むべきではない本」なんて書いてあります。(笑)
でも中盤で激しいいじめから逃れてきた信子をかくまってくれます。
信子の「全然違う世界みたい」に対し、
「私が作った世界」と返事しています。
常識的に考えれば美男美女以外禁止とかケバい女滅びろとは随分な言い種ですが、
常識にとらわれず自分の、自分だけの世界を作るなんて憧れますね。
②「人はね、何を想っても自由。」
キャサリンの台詞です。
初登場はごみ捨て場の屋根の上!
初っぱなからインパクト抜群です。
信子がいじめからのゴーヨク堂帰り、公園で謎の禍々しい道具を握り校長の髪がずるっぱげにになることを熱心に祈っています。
校長のこと大っ嫌いなんですね(笑)
でも仕事だし会わないわけにはいかないから、こうしてストレス発散してるよう。
「人はね、何を想っても自由。私なんか頭の中で何人殺したことか。頭は便利だよ。本当に行動しなくても、思っただけでそれで切り替えて次にいけるからね」
いい大人なのにずるっぱげを祈ったり、頭の中で何人も殺したり、ぶっとんでます。
でも誰しもストレスを抱えますよね。自分が悪いことをしたわけじゃないのにいじめのターゲットにされたり、とか
急に人気者から転落したり、とか
みんな適度に発散しながら、それでも切り替えて前を向いて生きていくんです。
野ブタ。をプロデュースは15年も前の、当時はまだ珍しいスクールカーストを題材に下位のいじめられっこを人気者へとプロデュースしていく物語です。
しかし振り替えって見直してみると、細かい表現や台詞の1つ1つ、人間関係など大変に興味深いですね。
③「私も誰にも引っこ抜かれない大きな木になれるかな」
終盤、信子はキャサリンからもらった呪いの道具で坂東がこの世から消えてしまえ、と願うのですが、すぐ後にその願いを取り消します。
修二と船で運ばれる柳の木を見て、
「私も誰にも引っこ抜かれない大きな木になれるかな」と少し勇気をもらいます。
そして坂東がいる世界で生き抜くことを決心するのでした。
屋上でプロデュースの打ち合わせの時、芸名
を考えようとなります。
修二がふと口にした野ブタという名前に、信子は自らの意思で私野ブタいいと思う、と同意を示します。
町の中を坂東たちから逃げる時には
この世はどこまでいっても同じ世界が続いているだけ
私が住んじゃいけない世界がずっと続いているだけ
という絶望のモノローグが入ります。
でも野ブタという名前を気に入る姿は、"自分を変えたい"、という強い意思が感じられます。