【雑学】先入観の哲学
高校生の頃、社会科目の中の倫理学を履修していました。
選択科目でもう一対の政治経済は当時あまり関心がなかったので、消去法で選んだのだが、これが思いの外面白かった。
私は子どもの頃から家族や先生の言葉や価値基準に対して、
「それおかしいんじゃ‥?」
と感じることが多々あり(子どもながらの変な自信というか達観だと思う)
「これ!中学生の頃疑問に思ったやつだ!」
と好奇心満々で授業を受けていました。
フランシス・ベーコンというイギリスの哲学者をご存知でしょうか?
彼が提唱した4つのイドラという考えがあり、要するに偏見や先入観を指しています。
ちなみにイドラidola、字面で予想できるかもしれないけど、アイドルidolの語源でもあるそう。
歌って踊れて、なんなら演技もクイズも小説書きも気象予報もできるアイドル、ではなく、偶像の方のアイドルである。
さて4つのイドラ、具体的には
です。
①は個人的にあんま面白くないので省略(笑)
②は「井の中の蛙大海を知らず」状態です。
私的な解釈だと、事実と真実の違い、なんて当てはまりそうかなと。
これは面白そうなので後日別の記事にします。
③は皆言ってるじゃん!という偏見。
タイムリーな話題だと新型コロナウィルス関連でしょうか。
これも別の記事に書こうかな(笑)
④が今回書こうと思った、高校生当時最も印象に残った偏見です。
つまり、偉そうな人の意見ってそれっぽく聞こえちゃうよねってことです。
最近はワイドショーはもちろん、YouTubeやこういったブログでも様々な人が発信できる時代になりました。
こういうとき自己紹介することはある種必然かと思うのですが、たいていなんか偉そうな肩書きつけません?
最近ありそうなものだと、
「海外で感染症研究に○○年従事」
とか、
「前職でこ~んな立派な成果を上げました!
この分野のパイオニアです!」
的なのとか。
発言に信憑性とか影響力もたせるためにも当たり前のように使われますよね。
なんかすごそうな人が自信満々に語ってると、さも正解のように聞こえますが、「ちょっとまって!」
経歴と発言の信憑性は必ずしも比例しないのでは、と私は思うのです。
確かに経歴はすごいのかもしれないけど、じゃあその人の考え方が物事の真意をとらえられてるかはまた別のお話。
さらに、成果を出すこととそれを抜群の話術で伝えられているのか、というのもやっぱり別の問題。
それぞれ異なる才能や努力が必要だと思います。
様々なメディアで色々な情報が行き交いますが、一見正しそうな真実が本当に真なのかは、あなたの中で立ち止まって精査してほしいと思います。
※権威者を敵対視してるわけじゃなく、情報を鵜呑みにしないでね!ということです。
すごい人が喋ってるからってそれが絶対的な正解とは限らないのだから、「劇場のイドラ」に振り回されずに自力で考える時間も大切にしましょう(^^)