【感想】野ブタ最終話

4月に再放送が決まった当初は、懐かしー!という思いで見始めましたが

ネットニュースなどでも記事が書かれたり、15年経っても褪せない魅力を感じさせてくれました。

 

 

こういう見方はナンセンスかなぁ‥とも思うのですが、最終話を見ていてふと心に湧いたことがあります。

それは、「この物語の主人公は誰か?」ということ。

語り部として考えれば修二。

ただ単独の主人公、という見方ではなく彰と野ブタの三人が主人公、でも間違いはないだろうなぁと。

 

 

修二が引っ越すことを二人に話したときに、「ああ、主人公は修二なんだなぁ」と自然と思えました。

彰と野ブタが脇役、という訳ではないですが。。

 

クラスの、いや教師も含め学校中の人気者であった修二。

些細な出会いや繋がりから野ブタを人気者にプロデュースすることに楽しみを見出だし、いつしか本当の友情を築く。

一方、それまでに築き上げた人気者のポジションは行き違いから"仮面"が剥がれ、孤独へと転落します。

 

ところで野ブタはプロデュースの過程で野ブタの"自分らしさ"が輝きはじめ、最終話では脇目も振らずに走り回り巫女さん姿まで披露してくれました。

 

彰は無目的な日常から、修二と野ブタと過ごす時間に何よりもの価値を見出だしたみたいですね。

 

これらの過程や結果の全ては、修二の軌跡を描いたもの。

と、私は思いました。

野ブタをプロデュース。』はいじめられっ子の野ブタを人気者の修二と彰がクラスの人気者へとプロデュースする物語です。

 

しかしプロデュースは飽くまでも物語のほんの一部に過ぎず、野ブタと彰、それにクラスメイトや彼女のまり子に教師、家族に地域の人。学校のイベントや進路などなど‥

一高校生の様々な出会いや経験を通しての成長が描かれた物語なんだな、と私は感じました。

 

そしてそして今回も教頭キャサリンやゴーヨク堂のデルフィーヌも良いキャラしてましたね。

 

ストーリーや演出、サブの登場人物まであまねく魅力的な傑作でした。

 

皆さまはどのように感じましたか?

【雑談】最近の話

修二が人間不信になった戦犯は、あのお巡りさんだと思う。

 

6月に入ってからというもの、コロナで休止してた仕事やら何やらが一気に降りかかり、お陰さまで忙しくしています。

 

ということで二週間前の野ブタ8話と今日(日付跨いでるから昨日か)の9話を一気見しました。

 

修二が人気者から転落する回と、いじめ主犯と対決し終息に向かう盛りだくさんの二話でした。

 

 

印象に残ったのは、修二があおいのしっぽを掴み追いかけ問い詰めるシーン。

ここのカメラワークやBGM、照明などの演出がなんかちょっと古いなぁと感じました。

15年前のドラマだから-というだけでなく、単に演出としてあのシーンになったんだと思います。

 

たまたまなのか、最近新旧の対立をよく見かける気がします。

「最近の作品より、昔の作品の方が面白かったなぁ」

「回想厨乙w」

みたいな。

 

とまあ閑話はさておき、このシーンの演出が古いなぁと感じたんですけど

不思議なもので「古いなぁ」という感想は「面白くない」という感想とはまるで因果がない。

古いんだけど、まったく色褪せず惹かれるものがあるんですよね。

 

9話はいじめが落着しましたが、ここのあたりはあまり記憶に残ってませんでした。

 

文化祭エピソードでもファンタジーな演出がありましたが、今回もファンタジーというか不思議な感じでした。

 

それぞれが同じ夢を見るというファンタジーの中で、妙にリアルな悪役の死と向き合い、結果あおいまでもが手を引くに至りました。

 

ドラマ内であおい自身のエピソードは深く取り沙汰されていませんが、奇妙を挟むことによりモヤモヤ感を残しつつモヤモヤのままストーリーを受け入れさせる演出だったのかな。

ほんと巧いなぁ。

 

逃げ恥も面白いですね。

放送してたのはもう4年近く前でしたっけ?

当時は心情が丁寧に描かれてるなあとか、パロディが面白いなあとか。

時事ネタや社会問題も取り上げてあって関心し、感心だなあとか。そんな程度でしたが。

 

改めて見てみるとやっぱり印象が変わります。

一番は平匡の男子力とみくりの女子力に関心します。

平匡の些細なことにちゃんと気付いてみくりを評価してる姿勢とかすごいですよね。

朝日がいつもより気持ちいいから、網戸の掃除に気付く。なんて素敵すぎます。

 

みくりは自身の抱える問題に流されそうになりつつもそれを乗り越え、さらには平匡のパーソナリティすらも受け入れ告白するなんて、もう頭が上がりません。

 

よく「こんな彼氏or彼女が欲しい」なんて言いますけど、これは確かにそう感じるのも無理ないです。

私も平匡みたいな彼氏か、みくりみたいな彼女が欲しいです。

同時に、いつかこんなパートナーができたとき対等であれるようになりたいですね。

【願望】こんな商品あったらいいのに

コロナにも負けず、不況にも負けず、自粛ムードにも政治不信にも負けぬ丈夫な心を持ち‥

 

技術も人の対応力も日進月歩。

一応は緊急事態宣言が解除され、コロナウイルスへの直接的な秘策はないものの様々な領域で変化に対応してますね。

 

アルコールの設置やマスクの常套化、

ソーシャルディスタンスやオンラインツールなど新しい文化の定着など目覚ましく、やっぱり人類は強いんだなぁと日々思います。

 

この分ならコロナという脅威が風化し、恐れるに足らないものだという認識を獲得するまでそう遠くないのではないかと、ふと考えます。

‥いや風化するのも是非がありそうですが。

 

ところでコロナよりもずっと以前から「こんな商品があったらいいのになぁ」と考えていたんですけど、

バルサン風の除菌剤って登場しないんでしょうかね?

 

ウイルスという目視できない脅威って、神経質になったらきりがないですよね。

手洗いとか顔に触らないようにする、なんてもんじゃなく

ドアの取手やスマホのような人が頻繁に触れるもの、もっと言ってしまえば壁とか床とかいちいち洗わないような家具とか、どんな瞬間に何が付着したかなんてわからんのです。だって見えないから。

 

そんなときバルサンのように煙が蔓延して部屋中くまなく行き渡る、そんな除菌剤ってできないのかしら。

極端な話コロナに効果がなくとも、"人の不安"には効果があると思うんですよね。

例えば赤ちゃんは口で物を知ったりします。これは安全だな、って。

子どもが遊ぶ積み木の一つ一つをこまめに除菌なんて、世のお母さんも保育士さんもそんな暇じゃないです。

 

そんなとき、セットして一時間くらい放置、あとは勝手に煙が行き渡って隅々まで除菌してくれる‥なんてこのご時世そこそこ需要があると思うんですけどどうでしょう?

商品開発とかビジネスとかクラウドファンディングとか詳しい人、どなたか教えてくれません?

【感想】野ブタをプロデュース。7話

そもそも感想と呼べるかも微妙なこのブログ記事ですが、なんだかんだ続けているので今回も筆を取ってみます。

 

とはいえ今週のお話はやるせない気持ちというか、いつも以上にまとめるのが難しいと感じました。

 

 

一旦プロデュースを休止して思い思いに過ごしている三人。

 

修二はかつての日常に戻ったり、野ブタの放送部の活動に協力したり、彰の失恋に付き合ったり、まり子に本音で向き合ったり。

 

これまでの修二は空気を読むのが上手く、器用で人気者ででも中身は冷たい‥ように見受けられる部分もある、そんな人物だった。

 

分かりやすそうで掴めない彼の本心、本質はどんなものでしょう?

 

子どもの頃から駄々をこねることがなく。

母は仕事で長期に海外。

恋愛のように自分の心をコントロールできなくなるのが嫌。

「俺は寂しい」

 

‥甘え下手、でしょうか。

【何でもない話】

"死にたい"という人がいる。

 

"死んじゃだめだ!"という人もいる。

 

 

どちらが正しいんだろう?

"死んじゃだめだ!"という人はきっとたくさんの善意を抱えている人だと思う。辛いことを辛いと認識できる優しい人なんだろう。

おそらく、正しい。

 

 

じゃあ"死にたい"人は?

海外や宗教によっては自殺を罪と捉える文化もある。

"死にたい"という感情は間違っているのだろうか。

辛いことを乗り越えて生きている人だって大勢いる。じゃあ何かのトリガーで

"死にたい"

"死のう"

と考えている人は間違っているのか、あるいは頭の中でエラーでも発生してしまっているのか。正しくはないのか。

 

 

もちろん、どっちが正しい、間違っている、なんていう論点はナンセンスだ。

ただ私は、"死にたい"が間違っているとは思えない。

 

"死にたい"人に向かって、"死んじゃだめだ!"と言うのはちょっと酷な気がする。

"死んじゃだめだ!"はつまり、死=悪いことや悲しいことで、だから死という選択肢を選ぶな。

という良くも悪くも強い正義の押し付けに感じられる。

 

 

自殺を肯定するわけじゃない。

ただ死への向き合い方、捉え方は人それぞれで。

本当に苦しくて辛くて自殺しか選択肢がない人にとっては、死を選ぶなというメッセージは絶望的に感じないのかな?

 

だから大事なのは、死を選ぶかどうか、よりもさらに以前に

相手を理解しようと努め、苦しみを分かち合い、寄り添うことなのではないか。

 

 

以上、まとまりのない綺麗事でした。

【感想】野ブタ6話。とマインドフルネス瞑想

最近、マインドフルネス瞑想に興味があります。

近年注目を浴びてますよね。

かじり始めたばかりでそんなに詳しくないですが、ふと野ブタ6話を見て通じるところがあるなぁと思いました。

 

野ブタ、人気ですね。視聴率も結構良いみたいです。

大人になってこうして見返しても感慨深いものがあります。

15年前のドラマですが、色褪せることなく視聴者に感じさせるものがある証拠だと思います

 

今回は彰にスポットライトを当てた話でした。

 

飄々として悩みと無縁そうな彰ですが、学校の進路希望調査とタイミング同じくして、父に会社を継ぐことを迫られ反発する‥

 

偶然野ブタの作ったブタのキーホルダーが人気を博したことをきっかけに、ちょっとした商売に打ち込む三人。

 

修二はパクリの登場にムカつきさらなるアップデートと勝ちにこだわります。

 

野ブタは一度人気を博した時点で、張り合うことはせず誰かの"大切"になったことで満足します。

 

そして彰は野ブタへの恋心を自覚したため、一緒に過ごせることに満足している様子。

 

 

「(ペンキを)かけてもらって良かった。だって次にいけるから」

 

今回印象に残ったシーンは、改良した野ブタキーホルダーが不人気で苛立つ修二と彰に対する野ブタです。

 

特に修二は、自分たちのアイデアや頑張りが犯人による工作で無碍にされていることに苛立ちを覚えています。

 

しかし野ブタはそんな苛立ちとは上手く切り離されて、これまででも充分誰かの願いになったことや、自分たちが一生懸命頑張った過程を重視しています。

 

野ブタはとてもマインドフルである、と言えるのではないでしょうか。

マインドフルネス瞑想の中核の一つは、「自分に意識を向ける」ということです。

自分と向き合い、自分を知るからこそ、扱いがたい感情や問題に直面しても動じず適切に対処できるということらしいです。

 

野ブタは凄惨ないじめにトラウマチックな養父との思い出など、ヘビーな経験をしています。

いじめやネガティブな体験は無いに越したことはない‥のですが、ある種の必要悪でもあると、私は思っています。

辛い局面に陥ると、人は自分を責めずにはいられません。たとえ自分に非がなくとも。

「どこが悪かったんだろう」

「もっと上手く立ち回れたらいいのに」

と。

辛くて辛くて、答えのない自分との対話から抜け出せなくなって、

でもそれが自分と向き合う"マインドフルネス瞑想"と近い効果があるのでは、なんて私は思います。

 

だから辛い出来事を乗り越えた時に人は成長するのだと思います。

 

私も長くはない人生の中で、人並みに辛い体験や悲しい思いをしてきました。

その都度ネガティブな感情に囚われています。

でもいつか笑顔を取り戻せる日が来るものです。

明けない夜はない、というやつです。

 

もし今ネガティブに支配されている真っ只中ならこの言葉は何の薬にもならないかもしれませんが。

そのネガティブはあなたとは切り離されたところにあって、いつの日か適切な距離で付き合える日が来ます。

 

辛いことも無視せず、張り合わず、ただそこのあるものなんだと上手く付き合ってみるのはいかがでしょうか。

【感想】かくしごと

映画でもアニメでも小説でも音楽でも、色々な感情が湧き立つものはやはり「名作だなぁ」と感じます。

4月より放送されている『かくしごと』は、コメディや漫画家という仕事への尊敬もありますが、一番は不思議と湧き立つノスタルジーな懐かしさかもしれません。

あと暖かさと可愛さ。
私も姫のような娘が欲しくなります。

以下あらすじと感想ですが、私は原作は未読のためアニメを見て知り得た情報を元に述べます。


主人公は漫画家をしている後藤可久士。
小学生の娘、姫と二人暮らし。
かつてペンネームを使わずにちょっと下品な漫画を描いたがために、それがきっかけで姫が学校でいじめに遭うことのないよう、「描く仕事」を娘に「隠し事」している。


ちょっと下品なジャンルを描いているとはいえ、プロの漫画家として誇りをもっている可久士。とはいえ娘を溺愛しており何よりも優先し大切にしています。

姫は姫でとても純粋で(というかちょっと無垢過ぎ?)可久士が溺愛するのも納得な可愛らしい女の子です。

ところで物語は高校生になった姫が父の隠していた秘密を知ろうと回想し独白するシーンも挟まれるのですが、これにより
親子のほのぼのした家庭的な要素と漫画家としてのコメディな要素だけに留まらず、ほんのりミステリアスなスパイスが効いています。

無邪気な姫と、隠されていた真実を知ろうとする姫、今後物語はどう展開していくのでしょう?


さらにエンディング曲は大滝詠一さんの『君は天然色』です。
お恥ずかしながらこの曲がリリースされた1981年には私はまだ生まれていないので当時の反響は存じ上げないのですが、ビールのCMとかで流れてましたよね。

80年代を知っているわけではないですが、聴くと懐かしさや安心感を抱きます。

ちなみにオープニング曲はflumpoolより『小さな日々』です。
flumpoolがデビューした当時、私は中学生でした。デビュー曲の『花になれ』から知ってる馴染み深いアーティストですが、この『小さな日々』もとても良い曲です。
テーマは"何気ない日々の小さな幸せ"だそうです。
すとんと胸に落ちるというか、自然と胸に入ってほっこりさせてくれます。


こんなご時世だから、ほっこり幸せを感じさせてくれる作品は素晴らしいですね。